手のひらにつつまれた ちいさな ハーモニカ
唇をあて そっと 息を おくれば  やわらなか音色が 聴こえてくる
あたたかな調べ  遠い日の 夕焼けのような 懐かしい 音

あなたが そのハーモニカを ポケットに入れはじめたのは いつの頃なのだろう
少年だった あなたが ハーモニカの やさしい音色に こころを うばわれたのは
何歳の ときだったのだろう

ずっと昔  思い出の向こうにある この町の「風景」

夜空の星たちは 今よりも もっと 美しく 輝いていた
夕暮れの 静寂  耳を澄ませば 大代川のせせらぎが 聞こえてくるほどだった
そんな みどり深い この町で過した あなたの「道」
その「道」を ゆっくりと歩きながら あなたが 見つめてきた ひとつひとつの 季節
あなたの こころの奥では いつも 飾らない「音色」が奏でられていた
その「音色」は ちいさなハーモニカのように 素朴で あったかだった

ひろじさん 私たちは もういちど
あなたの吹く ハーモニカの音色を 聴いてみたい

あなたが 来た道を たどりながら

あなたが 届けてくれた 「やさしさ」を 探しながら



昭和十年の冬 あなたは この金谷の町で 産声をあげる

「昭和」の時代 あなたが ものごころついた時には
この国はもう 「いくさ」の影に すっかり おおわれていました

ものもなく 誰もが 貧しかった
山の奥の ちいさな村でさえ 父や兄を 戦争でとられた家は 数えきれないほどだった

里子にだされる 子供たち
幼い 弟や妹を おんぶひもで背負い 学校に行く 女の子たち
一本の 色鉛筆も 真新しい一冊のノートも まるで「たからもの」みたいだった

だけど あの時代 子供たちの笑顔は どんなにも 輝いていた
おなかはいつも ぺこぺこだったけれど 子供たちは 野や山を 駆け回る

ひろじさん
みんなで 木に登って食べた「桑の実」は どんな味がしたのですか

やまいもの蔓を見つけ 折れないように 掘り出した あなたの顔は
泥だらけになりながら どんな 笑顔だったのでしょう

そして ちいさかった あなたが はじめてハーモニカの音色を 聴いたとき
あなたの あどけない瞳は どれほど 輝いたのでしょうか


あなたの 子供時代
風の匂いを 感じ 川のせせらぎを 聞き
空の青さを 見上げながら 生きた あなたの 「はじまり」の季節

おおざっぱで だけど 誰よりも おおらかだった あなたの「こころ」は
そんな この町の 自然のなかで 育まれていった

「なかやのひろちゃん」の いつまでたっても無邪気だった 笑顔は
たくさんの仲間たちと遊んだ この山の ぬくもりのように 変わることがなかった



昭和二十年 この国の「いくさ」は終わる

その八月十五日の 青空の下 あなたは もう 十歳になっていました

きのうまでは「教育勅語」を なんとか覚えようと がんばっていたのに
こんどは「民主主義」を 勉強しなくちゃならなかった

それぞれの「戦争」  それぞれの「いくさ」の終わり
そして 子供たちの あたらしい「時代」

中学を卒業すると あなたは 竹下にある 洋服の仕立て屋さんに 修行にいく
あの頃の「仕立て屋さん」は 今より もっと厳しい「職人の世界」だった

長い尺の定規で 叩かれたことも あったかもしれない
縫い物をする指先は きっと かたくひび割れていたのでしょう

だけど あなたは 厳しい修行に耐えていった

そして そろそろ 「暖簾分け」かという 二十代の なかば頃
あなたは 実家の事情で 家の「農業」を継ぐことになる

せっかく 腕も磨き 一人前になっていた「仕立て屋」の世界に 心は残ったけれど
あなたは 家のために 「土の職人」となっていく

とまどいながら 家業に精を出す そんな あなたは
ある日 可憐に咲く 「花」を見つける

その「花」のことを あなたは「ふうちゃん」って 呼んでいましたね

「ふうちゃん」  そう あなたに 添い遂げてくれた ふじほさんの呼び名

そんな 可愛らしい「ふうちゃん」と あなたの はじめての デート

それは 掛川の町でしたね

「おめかし」して さあ 出かけようと、という時でした
掛川に行くという ふうちゃんに 家の人は 「このぎり」を 渡し
「まちに行くなら、とぎ屋さんで砥いでもらってきてくれ」と 殺生なことを言う

断りきれない性格のふうちゃんだったから
「初デート」に その「このぎり」を持って行く

待ち合わせの場所 このぎりを持って現れたふうちゃんに あなたは 驚いた

だけど あたふたしながら説明する ふうちゃんを見て
あなたは くすくすと 笑い始める
そして その笑顔に誘われるように ふうちゃんも 笑い出せば
ふたりは おなかをかかえながら 笑いがとまらなくなってしまうのでした

懐かしい 想い出  あなたと ふうちゃんの あたたかな 季節



昭和三十六年 あなたと ふじほさんは 夫婦となる

あなたは ふじほさんのことを ずっと 大切にしました

ふじほさんが 作ってくれる 手料理を 酒の肴にしながら
ふたりは 毎晩のように 晩酌を楽しみました
ほろ酔いになると あなたは 胸のポケットから ハーモニカをとりだし
気持ちようさそうに 唄を 奏でるのでした

そして 授かった 子供たち

家族がいて 働く  働いて 家に戻れば  家族が 笑顔で迎えてくれる

長い 「家族」の道のりには いろいろなことが あったけれど
あなたにも あなたの家族にも 「しあわせ」は いつも 寄り添ってくれた


過ぎていく 季節  満ちていく 「時」のながれ

六年前 ふじほさんが 旅立っていったとき
あなたは 肩を落とし 「悲しみ」に打ちひしがれました

いつまでたっても 元気になれない あなたを 家族も 友達も みんな心配しました

友達は あなたを元気づけようと 「狩猟」に誘ってくれました

家族は なるべく あなたのそばにいて あなたのチカラになろうとしました

そんな みんなの やさしさに ふれながら
あなたは すこしずつ「笑顔」を とりもどしていく

伝えあう 想い  ひとが ひとを 想う そのぬくもり




ひろじさん

今日という日  旅立っていくあなたの 「はじまり」と「終わり」の唄

目を閉じて  耳を澄ませば  そんな あなたの ハーモニカの音色が 聴こえてきます

その 音色を  待っていてくれる 「ふうちゃん」にも 聴かせてあげてください

あの  かわらない 笑顔のままで

あの日の  「このぎり」のデートの話を

前みたいに  晩酌を  楽しみながら

ほろ酔いの  ハーモニカを  吹きながら