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「ドン」のオヤジ  2001.12.9
※注意…秋田弁が分らない方は、濁音を濁さないで読んで下さい。意味が通じるかも…

それの正式な名称を何と言うのか分らないが、刈和野周辺ではそれを「ドン」と呼び、子供から大人までみんなに愛されるお米版ポップコーンのようなお菓子がある。コーンじゃないから「ポップライス」ってとこかな…駄菓子屋でも綺麗な三角の袋で包装され吊るして売られている「ドン」を見掛けるが、今回取り上げたのは、その辺の道端に小汚い店を構え、目の前で「ドン」を作ってくれる露天商の小汚いオヤジの話しである。
俺が息子と同じ位の小さい頃、刈和野の広小路の公民館脇では、「ドン」のオヤジが数年に1回店を広げ、その仕事ぶりを面白そうに見せてもらってたような微かな記憶がある。そのオヤジとつい最近話しをする機会があり、HPのネタ不足もあった事から取材を兼ねて「ドン」を作って頂いた。


それは雪がちらつき始めた12月初旬。国道13号の道端で熱心に何かを廻す小汚いオヤジ。20数年ぶりに見掛ける「ドン」のオヤジである。「ドン」の材料の米一升を刈和野から持参し、帰りに寄ってみる事にした。
 
オヤジの周辺にあるのは「ドン」を作る筒状の鉄の容器と、その容器を下から炙るための薪をくべる入れ物、それに空気を送る手動式のブロワー、筒状に金網を張った蟹取りの仕掛のようなもの、そして山積の薪とナタである。
 
早速持ってきた米を手渡す。オヤジは手際良く筒状の容器に流し込む。出来上がる過程で容器内部に相当の圧力が掛かるのか、オヤジは蓋を厳重に締め付ける。そして米が入った容器と隣にある手動ブロワーをゴムで連結する。どうやら筒状の容器についてるハンドルを廻せば、一緒にブロワーが廻る仕組みのようだ。「さっやるど!」の一声からオヤジの仕事が始まった。左手でハンドルを廻しながら、右足で薪を押さえ右手でノコギリ、ナタを器用に使いながら、薪を切り・割り次々にくべていく。ブロワーから送られた空気で瞬く間に薪は勢い良く燃え上がる。


オヤジの年は60台後半。15才から始めてこの道50年だそうだ。住まいは武家屋敷で有名なみちのくの小京都「角館」。農閑期に「ドン」で各地を廻っているようだ。テキパキした動きと一緒にオヤジの話しは止まらない。政治・経済・哲学・文学・ヤクザから性病まであらゆるジャンルの話題で「話しっこ」を聞かせてくれる。オヤジ曰く、「この道50年。NHKさも出だし、テレビさだば何回も出だ」そうだ。その身なりはお世辞にも綺麗とは言えない、少し長めの「どんぶく」に汚い帽子のいでたちである。「「ドン」やってる人、秋田さ何人ぐらい居るもんだすか?」「俺入れで4人ぐれだべな。だども薪くべでやってるのは俺ぐれなもんだ」だそうだ。他の「ドン」はどうもガスか何かで作っているらしい。って事は、身なりはこんなんだけどこの道の第一人者かもしれない。オヤジの知識と記憶力は相当のもので、「せば、おめの年だば公民館の向えの○○ちゃんと同じくらいだべ?」俺の同級生の名前である。「何で分るんだすか?」「俺だば、何でも知ってるんだ。一回会えば忘れねものな」だそうだ。かなりやり手のオヤジである。
 
そうこうしている間に、オヤジ「来たどっ!来たど!」「ちょっと待ってけれ!車で待ってるガギさ見せだいがら!」「ダメだダメだ待だれね!」オヤジにしか分らない、そのタイミングがあるらしい。オヤジの仕事がにわかに慌しくなり、一連の作業のクライマックスである。「良いがっ!行ぐど!離れれよ!」………「ドン!!



「ドン」の完成である。蟹取りの仕掛のような金網には爆ぜた「ドン」が一杯である。米を「ドン」にするレシピまでは聞けなかったが、どうも米を密閉した容器に入れ、下から直火で炙れば容器の中が高温・高圧となり、ある圧力まで達した時点で、開放してやれば「ドン!」の爆音と共に、米が「ドン」になるようだ。次にオヤジ見掛けたら是非この辺を聞き出したいものだ。



父さん。次はどごさ行ぐんだすか?」「せば、刈和野さでも行ってみれば良いべが
暮れが押し迫まった師走の寒空の下、オヤジは鼻水すすりながら「
まだ寄ってけれな
父さんも風邪ひぐなよ。まだな」久々に人情味ある人との出会いであった。
「ドン」のオヤジがんばれ!



「ドン」のご用命は…

地域の祭りや幼稚園・小学校のイベント等へも出張するそうです。ご興味ある方は「DFE」までちなみに頂いたオヤジの名刺には「…街に花と緑を…」・・・いかしたオヤジだよ。


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